自治体防災担当者による “現場からの提言”(第9回)

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自治体防災担当者による “現場からの提言”(第9回)

第9回目は、飯田市の危機管理担当として12年目を迎えられ、総務省消防庁のアドバイザーとしても活動され全国の防災担当者とのネットワークも豊富な長野県飯田市 危機管理室 次長補佐兼防災係長 後藤武志氏にお話をうかがいました。

スペシャルインタビュー

情に報いてこその「情報」。
市民に対してわかりやすく、次の行動につながる丁寧な情報伝達、コミュニケーションを心がけています。

飯田市 危機管理室

次長補佐兼防災係長 後藤 武志(ごとう たけし)氏

-後藤さんの経歴を教えてください。

私は生まれも育ちも飯田市でそのまま飯田市役所に入庁したので、飯田市から外に出たことはありません。昭和63年4月に入庁して、商工部工業課に4年在籍して、企業誘致、雇用対策を担当しました。その後、地域の公民館2カ所で公民館主事として5年間勤務し、地域の皆さんと二人三脚で運動会や文化祭を企画・開催したり、ひさかたの火まつりという新しいイベントを企画したりしました。その後、秘書広報課の秘書係として2年間勤務した後に、税務課の固定資産税の家屋係として、固定資産の家屋評価の仕事を4年間行いました。続いて、財政課に4年間在籍し、予算編成や決算業務を行いました。その時に市町村合併もあったので、合併前の上村、南信濃村の決算も担当するなど貴重な経験もさせていただきました。その後は市役所の労働組合の専従役員を2年間務め、平成21年4月に当時の危機管理・交通安全対策室(現在の危機管理室)の防災係に異動してきました。市役所に入所して33年目になりますが、そのうちの12年が危機管理室の勤務になります。

-防災対策で参考にされている専門家は?

山のようにいますよ。大学や研究機関の先生方もそうですし、他の自治体の方とも連絡を取り合っています。わからないことがあれば素直に聞くし、聞かれれば飯田市の現状や対応など全て答えるようにしています。自治体職員の世界は持ちつ持たれつ、助け助けられつつという関係だと思っています。自分が作ったいろいろなアイテムも極力惜しまず提供するようにしています。ただ、私が提供したもので何か作ったりしたら、必ずそれをフィードバックしていただくようにお願いしています。土地柄や組織のカラーが出ることもあるので、私が気づいていないことを気づかせてくれることもあります。持ちつ持たれつでお互いのレベルが上がり、自治体同士で共有できるものが広がっていくことを狙っています。難しいこともありますが、今では同じ想いの人たちが増えてきたという感触はあります。

-危機管理士1級を取得された理由は?

危機管理士1級を取得したのは、平成27年のことです。私たちが1期生で、全国に10人しかいませんでした。
取得の動機は、災害対応はにわか仕込みの知識では対応できないと感じたからです。勉強してきちんとした知識を身に付けておきたかったし、同じ危機管理士という資格を持つ人とネットワークができることも大きかったです。
危機管理は日々の生活の中の非常時に対して対応するので、世の中の全ての仕組みや習わしを全て知っていないと対応しきれません。また、危機管理や防災は自然災害だけを担当しているわけではなく、昨今の感染症対策も含まれますし、新型コロナウイルスという十分な研究が進んでいないものに対しても何らかの対応を考えてやっていかないといけません。自分がすべての知識を身に付けて対応するのは不可能なので、うまく人の力を借りながらその時のベストを尽くせる環境を平常時に作っておくことが必要です。そういう意味では危機管理士1級の資格を取得したことが、私にとってのターニングポイントだったと思います。

-飯田市の防災行政無線デジタル化整備事業のポイントは?

飯田市では、防災行政無線の更新に向けて、「現状より屋外で聞こえやすく!大雨災害リスクが高い地域の屋内にも情報を伝える!」という方針を作成し、準備を進めてきたことがポイントです。防災行政無線の更新を行った結果、どの程度の水準に持って行くか、その考え方を市民や議会に対して明らかにして進めていきました。

そのために行ったことが、音達性能の「見える化」作業です。どの程度スピーカー音の伝わる範囲が広がるのか、明瞭に伝わるのか、地図情報ソフトを使って一から設計を見直しました。その結果、高性能スピーカーを導入することで明瞭性が向上、音達性が拡大しました。また、当初の想定より子局を削減することができ、事業費の抑制にもつながりました。飯田市は市域もかなり広いので、障害物の有無や高低差を感覚ではなく数値的に確認し、それを設計に生かすことができました。

いろいろ紆余曲折はありましたが、それがあったから防災用スリムスピーカー、中型ホーンアレイスピーカーと出会うことができました。まさに縁とタイミングですね。当時、私は「遠くまで音が飛ばせるのであれば、子局のすぐ近くは少しうるさくても仕方ない」という深い諦めの元にいましたが、中型ホーンアレイスピーカーや防災用スリムスピーカーは「そんなにうるさくない。しかも遠くまで聴こえる」という評価を聞きました。実際に音を聞くと、地形や風向きにもよりますが思ったより音が遠くまで届いたのに感動しました。聴き取りやすくて、音も遠くまで届く。これなら市民の皆さんにきちんと説明ができ、納得してもらえると思いました。

  • 飯田市役所の屋上に設置された防災行政無線システムの中型ホーンアレイスピーカー。360°をカバーし、市街地に向けて放送されている。
  • 高台の住宅地に設置された防災行政無線子局(防災用スリムスピーカー2基、レフレックスホーンスピーカー)。

音達性能を見える化し、その効果を市民や議会に説明する際に使われた資料。

-「情報の伝え方」について、後藤さんが重視されていることを教えてください。

飯田市ではいろいろなツールと連携をして災害情報を配信していますが、特に気持ちを込めることができるという理由で音による情報伝達を最重要視しています。防災情報は聞こえないことには始まらない。市の意識調査でも、住民の約66%は屋外スピーカーから情報を得ていると回答しています。屋外スピーカーはPUSH型の情報伝達手段として有効ですから、そういうところにはこだわりを持ちたいですね。私自身も防災行政無線で話すようにしています。合成音声も試しているのですが、先日、大雨特別警報が出た時などは原稿を作っている時間もなかったのでそのまま自分で喋りました。しかも、上りチャイム音ではなく、サイレン音30秒吹鳴といういつもと違う音を使うことで危機感を伝え、私の肉声で「逃げてください」ということを伝えました。どんなにツールや技術が発達してもそれを使うのは人なので、本当に逃げて欲しいということであれば、逃げてほしいという思いを人がちゃんと付加して伝えることが大切ではないでしょうか。

また、飯田市の防災情報の配信については、基準値に達したら自動的に流す情報とアナログ的に実況値で判断して流す情報で使い分ける、かなり丁寧なやり方をしています。竜巻注意情報を例に挙げると、長野県南部に竜巻注意情報が発表されると、多くの自治体はそのままメールを配信します。1時間単位で発表が出るので、その都度メールを配信されるのですが、飯田市では手作業で発生確度や人の住んでいる地区にかかった場合にだけ防災行政無線と登録メールを流すようにしています。本当にリスクが高い時だけに災害情報を流すということを、あえて人間の判断と手作業で行うようにしています。フルオートだと頻繁すぎて、「ああ、またか」と思われる恐れがあります。適度な緊張感を持っていただくように、本当に危ない時に「危ない!」と伝えるように工夫しています。

情報を発信する時には、「現在、○○が起こっています」、「この先、△△△のようになりそうです」ということに対して、どのように行動して欲しいかという情報を付加して出していくようにしています。情に報いてこその「情報」です。情を込めて伝えないと。本当に避難してほしいという情報を内容にして、ここ一番の時は「逃げて!」という思いを込めて、「逃げてください」と防災行政無線で話すようにしています。

-防災担当者として、今後取り組みたいことは?

私の以前からの夢は、飯田市役所の危機管理能力を高めることのできる人材を育て、この飯田市を安全・安心なまちへつくり上げていくことです。自分自身もまだまだだと思っていますが、自分がこれまで学んだことを組織の中でより広めること、「この仕事をやってみたい」ということを後輩に後ろ姿で見せていきたいと考えています。危機管理室の仕事はプライベートを犠牲にすることも正直ありますので、本人のやる気と周囲の評価がないと、後に続いてくれる人材を育成するのは難しいと思います。やはり私が楽しそうに仕事をしていることを見せることは大切なことだと思います。

-全国の防災担当者の方にエールをお願いします。

私が常日頃思っているのは、行政の仕事は市民の皆さんの黒子的な存在でないといけないということです。市民の皆さんが主体的に防災対策を進めていく時の黒子として、私たちの専門性なり、組織の力、お金の力、地域全体を巻き込むネットワーク、それから市町村を超えるネットワークでどれだけ支えることができるか。人、物、場所の調達と、役所や関係する省庁との調整ですね。調整と調達が私たち自治体職員の勝負だと考えています。
また、自治体職員はさまざまな先生の話をお聞きしたり、繋がりを持つ中で知恵を借りたり、困った時に相談して「いいとこどり」ができるのが強みです。平常時にいかにそのような関係を作っておくかが重要です。いざという時には1,700を超える自治体がしっかりと手をつないで難局を乗り越えていくことが大切です。平常時には知恵を出しあって切磋琢磨しながら、仲のいい関係、協力しあえる関係を構築しましょう。そして、持ちつ持たれつの関係を作っていきましょう。

また、私たちの災害時における仕事の評価のされ方は基本的には減点法です。100点から、何ができなかったかで減点されていきます。プレッシャーのある中でどのように最善を尽くして判断し対処するか、悩ましいところです。反面、事前の防災対策は加点評価される領域でもあるので、行政のみならず市民や企業とともにいかに協働して事前の防災体制を整備していくかが重要であると思っています。そういう意識で、お互いに連携しながら日々仕事をしていけたらと考えています。

参考情報

整備にかかる費用を抑えるためにプロポーザル方式を採用するなど調達における工夫を行ったこと、高性能スピーカーを使用した防災無線デジタル化を行ったことから、各市町村での災害情報伝達システム整備の仕様書作成等の参考となる「災害情報伝達手段の整備等に関する手引き(令和2年3月版)」に飯田市様の取り組みが紹介されています。

参考リンク:総務省消防庁「住民への災害情報伝達手段」
https://www.fdma.go.jp/mission/prepare/transmission/transmission001.html

飯田市の概要と想定される自然災害

長野県飯田市の概要

飯田市は、長野県最南端に位置する市で、人口は約99,000人で長野市、松本市、上田市に次いで長野県内第4位の都市(人口順)である。(※) 東に南アルプス、西に中央アルプスが連なり、南北には天竜川が貫く日本一の谷地形が広がり、豊かな自然と優れた景観、四季の変化に富み、動植物の南北限という気候風土に恵まれている。古くは東山道、近世以降は三州街道、遠州街道などの陸運や天竜川の水運にも恵まれ、東西あるいは南北交通の要衝として繁栄。経済的にも文化的にも独自の発展を遂げ、神楽や人形浄瑠璃などの民俗文化が今なお暮らしの中に息づいている。
現在では先端技術を導入した精密機械、電子、光学のハイテク産業をはじめ、半生菓子、漬物、味噌、日本酒などの食品産業、市田柿、りんご、なしなどの果物を中心とする農業などが盛んに行われている。天下の名勝とうたわれた天龍峡をはじめ、天竜川の川下り、元善光寺、しらびそ高原などが観光名所として知られているが、近年では体験教育旅行や銘桜を巡る桜守の旅、グリーンツーリズム・エコツーリズムの取り組みなども全国から注目され、「環境モデル都市」にも認定されている。

※令和2年10月時点 市役所HP公表値より

河川の氾濫・洪水や土石流・土砂崩壊など多くの風水害が発生。
南海トラフへの備えも。

飯田市では、下伊那地方などで河川の氾濫・洪水や土石流・崩壊など、多くの風水害が発生。近年では昭和36年、昭和58年の災害、平成22年の土石流災害が歴史に残る大災害となっている。

三六災害(昭和36年6月)
本州南海上にあった台風6号の接近に伴い、梅雨前線の活動が活発となり、集中豪雨が発生。この大雨により、天竜川が氾濫。市内の至る所で崖崩れ、土石流(山津波)等の土砂災害が発生し、16名の死者・行方不明者を出した。

台風10号災害(昭和58年9月)
昭和58年9月28日から29日にかけて長野県に接近した台風10号による降雨のため、飯田・下伊那地方は三六災害にも匹敵する豪雨となり、死者1名のほか多くの被害をもたらした。

平成22年7月の土石流災害
平成22年7月11日から17日において、活発な梅雨前線の影響により飯田地域に激しい豪雨を伴う降雨があり、土石流による家屋や道路・河川への土砂流入や、道路・河川・農地・山腹の崩壊・決壊等の災害が多数発生した。

地震の記録から
歴史上の地震では、伊那谷周辺で発生した最も新しい被害地震は享保3年(1718)の遠山地震がある。それ以降大きな被害となった地震はないが、伊那谷に見られる河岸段丘を縁取る崖の多くは断層といわれ、以前にも大きな地震があったことがうかがえる。また、静岡県沖で起きたとされる安政東海地震でも34人の死者の記録があり、太平洋側で発生する海溝型地震の影響を受ける地域であることがわかる。南海トラフ巨大地震でも最大震度6強の被害想定が発表されている。

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